ART AVENUE 友永詔三の造形
 ニューオータニ美術館『造形作家 友永詔三の世界 木彫の乙女たち』展より
 友永詔三の制作活動と世界の人形劇
太田美喜子(ニューオータニ美術館学芸員)
 
はじめに

 この度開催の運びとなった展覧会「造形作家 友永詔三の世界 木彫の乙女たち」は、ニューオータニ美術館にとっても新しい試みである。来年開館20周年を迎える当館では、所蔵作品の方向性から絵画が多く、茶道具などの工芸品を含む展覧会の開催はあったものの2003年の陶芸展で初めて本格的な立体作品の展覧会を行った。そして今回、作家友永氏本人の全面的な協力と関係者の温かいご理解をいただいたことによって、初めての彫刻展が実現した。この経験は、今後のニューオータニ美術館にとっても貴重なもので、ご協力くださったすべての方々に感謝を申し上げたい。
 友永詔三の名を聞けば、NHK連続人形劇『プリンプリン物語』を頭に浮かべる方も少なくない。放送されていたのは1979年から1982年の3年間で、人形劇シリーズの中でも特に人気の高かった一作品であり、友永はその人形を手がけた。今から約30年前のことに関わらず現在もファンが多く、インターネットのサイトも複数あるほどである。
 本店では、近年展開されている少女の木彫を中心に、友永の原点である『プリンプリン物語』のキャラクターを、さらに版画やランプを合わせて友永の芸術活動を展観していく。
 そして本稿は、友永の活動のみならず、簡単にではあるが国内外の人形劇の歴史にも触れることによって、人の心を惹きつけてやまない友永作品の魅力を探り、深く理解していただこうというものである。

友永の制作活動
はじまり~渡豪~帰国

 美しい四万十川の流れる高知県に、1944年友永は生まれた。
 1962年に上京し、東京デザイナー学院インテリアデザイン科に入学、ここで舞台美術に熱中することとなる。卒業制作は紙粘土で制作した人形を使用しての人形劇で、公演も行った。
 1967年卒業と同時に東宝舞台株式会社の美術部に入社。半年ほど経ったとき、オーストラリア人形劇団(The Marionette Theatre of Australia)の芸術監督を務めるピーター・スクリベン(1930~88)の人形デザイン画のオーディションに参加して合格した。その時友永は、デザイン画とともに紙粘土で人形も制作していったという。それがスクリベンの目にとまり、本格的な人形制作の勉強を勧められた。その年渡豪した友永は、スクリベンとイゴール・ヒチカに師事する。異国で何を学んだかを問うと、自分が日本で制作技術を習得する前に渡豪できたことがよかったと、友永は当時を振り返る。技術のみならず、「型にはまらず、枠からはみ出す」姿勢を吸収した。その精神は、帰国後の仕事においても随所に現れることとなる。
豪州へ持参した人形
 スクリベンは、オーストラリアで操り人形を本格的な芸術として確立した第一人者で、1956年シドニーのエリザベス女王劇場での初の人魚ミュージカル『Tintookies(ティントゥッキーズ)』を上演して成功させた。"Tintookies"とはアボリジニの言葉で「砂丘に住む小さな人々」という意味である。『Tintookies』はオーストラリア各地で上演され、スクリベン人形劇の代名詞ともなる。1965年にはオーストラリア人形劇団を設立して活動を続けた。イゴール・ヒチカはポーランド出身の人形作家で、特にスクリベンのもとで人形劇のための人形を制作し、同時に人形操作も行った。当時、劇団には様々な国籍の人々が集まり人形劇を作り上げていたそうである。
 そのような中、友永は1969年、大阪万国博覧会(1970年開催)で上演のための人形劇『The Magic Pudding(魔法のプリン)』の人形制作に参加して、翌1970年に帰国した。
 帰国後の余も那賀は、母校の東京デザイナー学院の講師を務めながら人形のデザイン制作や人形劇の演出を行い、関節にジョイントボールを用いた球体関節人形、版画、公共施設のレリーフやモニュメントの制作などの作品を手がけている。個展も開催された。型にはまらない友永のもとには、様々なチャンスが外からやってきた。中でも、1979年にスタートしたNHK連続人形劇『プリンプリン物語』の人形デザイン、制作を任されたことは、友永詔三の名を広く知らしめることとなった。放送の終わった現在でも、キャラクターたちはファンに愛され続けている。          このページの上へ
 
日本の人形劇と『プリンプリン物語』
 人形劇の起源は、シャーマニズム的な祈祷や呪術といわれる。日本で人形劇が成立するのは、16世紀室町時代であると考えられてうる。郷土文化や民族文化とも密接に関わり、やがて見せ物=人形による演劇となっていったようだ。
 日本の人形劇の代表的な存在であるのが江戸時代に興った文楽(人形浄瑠璃)であろう。太夫の竹本義太夫、脚本家の近松門左衛門の出現によって開花し、歌舞伎にも影響を与えた。現在、日本無形文化財にも指定されている重要な文化である。物語を語る太夫、音楽を担当する三味線、人形を操る人形遣いの三位一体で演じられる伝統芸能である。身長が120~150cm程もある人形は、頭と右手、左手、脚と3人で操られるが、友永が舞踏人形劇用に制作した<卑弥呼>は、この文楽の手法がとられている。
卑弥呼 現代では、1920年代末が日本の現代人形劇の萌芽期で、「人形座」や「プーク」の前身である「人形クラブ」など多くの人形劇団が生まれた。しかし当時の社会体制と第二次世界大戦の影響で政治色の濃いものとなっていったが、敗戦後は状況が変わり活性化した。現在、人形劇団の数は多岐に渡るといわれているが、日本人形劇人協会(1967年結成)の会員となっている商業劇団には、「プーク」「ひとみ座」など50以上にのぼり、また江戸糸あやつり人形の伝統を受け継ぐ「胡桃座」(1635年結城孫三郎が旗揚げ、現在12代目)も活動を続けている。
 人形は人間のように顔の表情で演じることができないため、動き全体による表現が重要で、それゆえ美術的効果が大きな役割を果たすことになる。舞台セットこそ小ぶりになるものの、人形制作、人形遣い、声優と一体の人形に少なくとも3人の手が必要とは、なんと贅沢な芸術であろうか。
 渡豪前、「これからの人形劇はテレビ」と友永に示唆した人がいたというが、実際に人形劇の公演はテレビで登場する機会が増えつつあった。日本ではNHK連続人魚劇シリーズが、私たちにとって最も身近といえるものではないだろうか。このシリーズは、1953年から始まっている。1960年代までは請負った人形劇団が人形制作から人形操作までこなしていたが、1970年代に入ると、人形制作には友永
詔三のほか辻村寿三郎(ジュサブロー)や川本喜八郎などの人気人形作家が担当するようになる。声には声優のほか俳優、タレントなども起用された。友永は1979年から82年に放送された『プリンプリン物語』(原作:石山透)の人形デザイン・制作者として手腕を振るった。
プリンセス プリンプリン それでは根強い人気を誇る『プリンプリン物語』のストーリーに少し触れよう。少年や青年が主人公の歴史ものや探検ものが覆い中、少女が単独で主人公であるのが『プリンプリン物語』である。脚本は石山透のオリジナルであった。はじまりは、こうである。海に漂う箱の中から王冠を被った女の子の赤ちゃんがモンキーとともに助けられ、プリンプリンと名付けられた。15年後、美しく成長したプリンプリンは、祖国と両親を探すために友達のボンボン、オサゲ、カセイジン、モンキーと共に旅に出て、訪れる国々で様々な騒動に巻き込まれるというものである。出演キャラクターの名前や衣装から古代インド叙事詩『ラーマーヤナ』を意識していることが窺える。友永は、この人形制作のためにインドへ取材旅行に行っており、現地で人形の衣装の材料を手に入れてきている。
 プリンプリンたちは色々な国へ旅するため、回を追うごとにキャラクターがどんどん増えていく。友永がこの物語のために作った人形は、動物を含めると500体にも及んだという。そのような中、毎回出演するプリンプリンと旅の仲間以外にも、視聴者の心を鷲掴みにしたキャラクターがいる。IQ1300の悪党「ルチ将軍」や、1回きりの登場予定でありながら人気が出てレギュラーの座を獲得した「花のアナウンサー」などである。人形の肌に縮緬を使用する辻村や皮を張る川本と異なり、友永の制作する人形は人形の素肌に木目がそのまま活かされている。木目を活かす造りには利点がある。木肌に直接顔の化粧を施すので時間の短縮につながり、急なキャラクター増員に対応できるのである。しかしだからといってそれだけが目的ではない。木のあたたか味や木の種類の違いによる色、硬さ、風合をそれぞれのキャラクターに活かしているのだ。高知の自然の中で育った友永ならではである。削り出したときの年輪の出具合も計算して行っている。プリンプリンはサイプラスという糸杉(ヒノキ科)を使っているそうだが、この木材は、本展のメインである少女の木彫に最も多く使用されているものである。
 友永の制作した人形は、これまでの人形劇の人形とは異なる点が多かったというが、それがまたキャラクターの魅力となっている。「ルチ将軍」はIQ1300という設定から頭が大きく張り出して忘れられない容相をしているし、プリンプリンを追い回す悪役「ランカー」は体長1m12cmという前代未聞の大きさをしている。他のキャラクターが50~60cm位というこたから考えても、人形遣いの苦労は創造に難くない。                       このページの上へ

海外の人形劇

人形の操作方法による形態の種類は様々であるが、指人形、手遣い人形、棒遣い人形、糸繰り人形(マリオネット)などに大きく分類することができる。
 世界の諸民族はどのような形であれ、それぞれの人形劇を持っているといってもよいであろう。伝統的な人形劇は、大まかに西洋は糸繰り人形(マリオネット)が主流で、アジアや中近東では棒遣い人形が中心となって独自の発達をしてきたようである。
 中国では,11世紀ころ(宋時代)に人魚劇が盛んであったという記述があるようで、さらに15世紀(明時代)に入ると手遣い人形形式の布袋戯(プータイシー)や棒遣い人形が盛んになる。インド、インドネシア、タイなど東南アジアでは影絵芝居が古くから上演され、インド叙事詩『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』などが上演されてきた。インドネシアでは、民族音楽のガムランが特に演出効果を上げている。
 西洋においては、古代ギリシャの発掘品の中にマリオネット型の人形が多く含まれていることが知られている。しかも人形が型から作られていることから、大量生産されていたことが分かっている。それらは秘蹟に使用された宗教的意味合いのものと思われているが、紀元前5世紀頃になると俗世的人形劇が興ったという。キリスト教の時代になると聖書の物語が演じられるようになるが、その支配が強い中世になると、この演芸は教会から追放された。しかしそれd消滅はせず、各国、各地で民間演劇として演じられていった。
 人形劇が再び活発になるのはルネサンス期である。イタリアでコメディア・デラルテ(仮面喜劇)のキャラクターであるプルネッラが大人気となり、フランスでポリシネール、イギリスでパンチネロ、スペインでドン・クリストバル・ブルチネルロと名前を変えて各国で上演された。形態はイタリアで"プラチーニ"と呼ばれる手遣い人形で、19世紀になると、フランスでは"ギニョール"という人形に人気をとって替わられ、"ギニョール"は国際的に手遣い人形の代名詞になった。喜劇人形劇と同時に多く演じられていたのが英雄物語を土台にしたロマンティックな騎士を題材にした人形劇であった。現在もこの騎士劇で使用されたマリオネットが多く残されている。
さて、人形劇芸術で重要な役割を果たしたのが、東ヨーロッパのチェコである。チェコの人形劇団は、18~19世紀頃には戯曲家や美術家とかかわりを持ちながらマリオネット技術の改善をし、海外公演も行っていた。20世に世界で初めて「人形劇の友連盟」を設立、人形劇の専門雑誌が刊行されたのも、児童教育としての人形劇を歴史上で初めて行ったのもチェコであった。ファシストの占領下でも、チェコ人にしか分からないようチェコ語を使って彼らを風刺した。当時の東ヨーロッパではこのように、言語の違いを逆手にとって人形劇によって政治的批判を行うことは、よくされていたようである。
 1929年にチェコの人形劇人たちの提唱で国際人形劇連盟(UNIMA)が創立され世界組織へと発展していった。第二次世界大戦で活動が中断されたものの戦後再建されて1957年にはユネスコに加盟となった。                   このページの上へ

友永詔三の木彫の少女像
 人形制作で名を知らしめた友永であるが、この展覧会でご覧いただくとおり、少女をモチーフにした木彫を多く手がける彫刻家でもある。中には球体関節人形の形式をとった、自在にポーズを付けられる人形彫刻もみられる。球体関節人形とは、関節部分に球体を使用して形成された人形で、ドイツの写真家ハンス・ベルメール(1902~1975)がよく知られている。小説家の渋澤龍彦がベルメールついてよく論じているが、日本でも早い時期から紹介され、シュールレアリスム的衝撃をもって受け入れられた。ベルメールの人形写真を見て人形制作をはじめたという作家は少なくないが、友永自身もベルメールに魅了されたひとりで、写真で見て以来、球体関節人形を独学で研究した。前出の『プリンプリン物語』でも、友永の発案で連続人形劇で初めて、キャラクター人形に球体関節が取り入れられた。慣れない球体関節人形操作は、人形遣いたちも困難を極めたというが、自在のポーズをとることができることから、慣れてからはかえって活き活きとした動きを作り出すことができたという。
 近年では関節に球体のかたちをとらない少女の木彫像が多く展開され、本展でも多くご覧いただくのが、これらの少女たちである。その穏やかで静謐な表情は仏像にも通じ、私たちの心を平安に導く。装飾を最小限にとどめたシンプルなフォルムの少女たちは、頭の先から指の先、つま先まで繊細に彫刻された、友永の心のこもった芸術である。


[ 参考文献 ]
川尻泰司 『日本人形劇発達史・考』 晩成書房 1986年
展覧会図録 『人形工芸―昭和期を中心にして』 東京国立近代美術館 1986年
E・コーレンベルク 訳 大井数雄『人形劇の歴史』 晩成書房 1990年
池田憲章・伊藤秀章 『NHK連続人形劇のすべて』 アスキー/エンターブレイン 2003年
展覧会図録 『球体関節人形 Doll of innocence』 東京都現代美術館他 2004年


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